アジア・太平洋地域への政策提言

「文明の衝突」から見た日本

はじめに

サミュエル・ハンチントン氏の「文明の衝突(The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order)」は、発刊が1996年ということもあってもはや古典書の部類といっても良いでしょう。しかしながら、冷戦後の混迷の世界にあって、その巨視的史観から整理された世界秩序の分析とその予見は、30年近く年を経た現在にあっても、ますますその存在が輝きを増しつつあります。

さらに言うと、昨今の先行きの見えない多様化した変化の速い時代にあって、我々、なかんずく中国の台頭により不安定となったアジア情勢の真っただ中にある日本人にとって、おぼろげに未来を照らし出す灯火といっても過言ではありません。

本稿は改めて「文明の衝突」の概要を簡単にご紹介するとともに、その中での日本の立ち位置を解説し、さらに日本のアイデンティティの確立の重要性を考察する次第です。

1.文明の衝突概論

ハンチントンが説く文明とは、現状では次の7つとしている。

①中華文明
②日本文明
③ヒンドゥー文明
④イスラム文明
⑤西欧文明
⑥東方正教会文明
⑦ラテンアメリカ文明

これは歴史、民族、言語、宗教、文化、地域などの様々な要因を含む広義なものであり、アフリカやアジアについてはこれらの文明が混ざり合った地域で、独自の文明を持たないという位置づけである。

冷戦中、世界は資本主義対社会主義という対立するグループが存在してその影響力を競っており、イデオロギー、政治や経済が重要なファクターであり、逆に言うとそれこそが各国にとって最も大きな相違点であった。

ところが冷戦後はその垣根が消滅し、今度は各国が属する文化圏や文明、すなわちアイデンティが最大の相違点となり、重要なファクターとなった。すなわち、歴史や言語、民族、宗教といった文明圏が、国々の行動や方向性に影響するようになったのである。


The clash of civilizations according to Huntington (1996) Wikipedia CC-BY-SA 3.0

2.日本について

文明論における日本の扱いについては中華文明の亜種として位置付けられることが多いが、ハンチントンは独立した文明と捉えて一文明一国家の世界でも特異な位置付けをしている。

そしてそれが故に、中国がアジアで経済上の中心的存在となった今、日本にとって西欧文明から離れることはできても、これ以上にアジアに溶け込んでいくことは難しい。従って、日本は自身の文化的アイデンティティを再確認することで、将来的にはその独自性と西欧ともアジアとも異なる文化を強調せざるを得ない、としている。

また、日本は伝統的な「アジアを脱して西欧よりの立場をとる」ことを改め、「再アジア化の道」を追求するという可能性を論じている。

他方で、日本は東アジア諸国とどのような強固な経済的関係を結ぼうとしても、中国系が多くを占める各国の経済界エリート層とはあまりにも商文化が異なっており、欧州連合などのような地域的な経済グループを日本主導で作り出すことはできないし、かといって欧米との経済関係も必ずしも良好ではなく、今後は経済的に孤立することを示唆している。

これは重要な示唆である。

孤立はすることは良くないと考えるのは早計で、言葉を変えると他国と同調することなく自国の利益のみを考慮して行動できることも意味する。

ただし、それには周囲の軋轢も生じるわけで、それ相当の気概と覚悟が必要なのであるが、残念ながら現状に汲々として八方美人の日本人にとっては、最も苦手な選択と言えるだろう。

3.予見

ハンチントンは、西欧文明の影響力は衰え、将来はイスラム文明や中華文明が台頭して西欧文明と激しく衝突する可能性が大きくなり、また、日本文明は西欧文明から距離を置いて中華文明圏へ徐々に近づいて孤立するという見立てであった。

これについては、発刊から28年たった今、この予見は誠に慧眼と言わねばならないだろう。

しかしそうだとしても、もう25年後には人口1億人を割り、経済的にはインド、インドネシアに抜かれてGDP世界第6位にならざるを得ないる衰退する日本の進むべき道は、いかなるものであろうか?

ただでさえ、LGBTなどの多様化した価値観やダイバーシティーが叫ばれ、年間2500万人(2023年)もの外国人が押し寄せ、移民問題が取りざたされ、さらには中国の覇権主義に晒されている今、日本国のかじ取りは難しい。

まず最初にやらねばならぬことは、「我々は何者か、どこから来たのか」という日本のアイデンティティをしっかりと確立することが肝要である。何も考えなければ、日本国自体がそのまま流されてしまって世界で漂流しかねない。

昨今のクールジャパン、皇族推し、家系図ブーム、憲法改正などは、明らかにに日本人のアイデンティティ確立の流れであるが、自分は何者なのか、ということを考える過程の中での気づきこそが、個々の日本人の思考や行動に影響を与え、国の方向性を決定する上での重要なファクターとなるのである。


人力車に乗る浴衣の女性外国人観光客(PhotoAC)CC-BY-SA 3.0

【閑話休題】

人財育成プログラムの中でも、「自分は何者なのか」ということを研修参加者に考えさせ、その過程の中で気づきを与えるステージは非常に重要である。

研修参加者には真摯な気持ちを持って、自分とは何かを考えて欲しいところではあるが、仕事に追われて余裕がなく、若年層になればなるほど自分を傷つけたくないという自己防衛本能も働いて、なかなか研修の場で自分をさらけ出すことには抵抗を示すことも多い。

これをクリアする手法が、フィールドワーク(現場体験型研修)である。

すなわち、自然の中でリフレッシュして童心に帰り、体を動かしてメンバーと共にフィールドワークを一緒にやり、ミッションの合否を通じて、研修生同士が互いの相違点を認め合い、自分とは何かということを改めて考え、気づきを得やすくするのである。

そして、これによりその気づきを現状の業務や仕事、あるいは会社組織に対してどのように活かしていくのか、各自が考えていくというのが人材育成プログラムの理想な姿であろう。

ことほどさように、国も人もアイデンティティの確立は、国の命運や人生にとって非常に重要なファクターであると言えよう。

4.日本の進むべき方向性

世界で文明的に日本のように孤立する国の例は、ハンチントンによればイスラエル、エチオピアなどが挙げられている。

特にイスラエルの現状は示唆に富んでいる。

四方がイスラム文明圏で唯一のユダヤ教国であるイスラエルは、アメリカとの協調を第一として、建国以来、中東戦争などの「文明の衝突」を乗り越えて来た経験がある。

そして、その経験があるがゆえに現状のガザ紛争においては、夥しい人命を犠牲にした軍事作戦は、世界から認められずに孤立しつつある。

しかしながら、国内で一部反対世論があるものの、イスラエル国民大半の支持を得ており、第5次中東戦争をも辞さない覚悟の下で進められていると推察される。その善悪は別として、2000年来のユダヤ民族のアイデンティティが強く影響しているのである。


Armerd Corps Operate Near the Gaza Border Wikipedia Commons CC-BY-SA 3.0

翻って、遅くとも4世紀ころには中華文明から袂を分けたと考えられる日本については、1700年来の民族のアイデンティティはいかなるものであろうか?

一つだけ確かなことは、衰退化して孤立しつつある日本の取るべき道は、欧米文明か中華文明のいずれに重きを置くか、孤立するバランス配分をどうとるかということである。

もちろん、現在の我々の価値観は自由・平等、そして民主主義というものであり、現在の中国共産党の強権主義は嫌悪しか感じないであろう。

しかしながら、中国共産党の政権は誕生してから僅かに75年であり、その悠久の中華文明の中では一瞬の存在にすぎない。それ以前の歴代王朝と日本の関係は鎖国政策もあって良好であり、唐や隋の時代までさかのぼれば友好関係にあったのである。

ハンチントンは、日本がアメリカと共に中国を封じ込めるためには、将来に渡って次の3つの点が信じられるかによるとしている

  1. アメリカが世界唯一の超大国であり続け、指導力を発揮し続けられるか?
  2. いざという時は中国と戦う意志があるか?
  3. 戦争という大きなリスクなしで、日米で中国を封じ込むことができるか?

特に②は、台湾有事の際にアメリカは中国と戦うか?ということであるが、残念ながらアメリカは口先だけで中国とは直接的な戦闘は避けるであろうことは容易に想像できる。

ご都合主義の欧米は、中国がソ連への経済制裁参加とウクライナ支援を全面的に行えば、台湾における主権を認めるなどと豹変しかねないのである。

そして、国内の様々な政治的分断に苦しむアメリカが果たして将来に渡って超大国であり続けるか、そのアメリカと経済的に衰退して孤立しつつある日本が、果たして中国を封じ込むことができるか、日本は果たしてこれを見極めることができるのか?という命題を突きつけられているのである。

折しも今、「光る君へ」という1000年前の日本を描いた大河ドラマが放映中であるが、それは現代の脚本で史実ではないにせよ、紫式部の時代の日本や日本人がどうであったか、ということを我々に問いかけている。

営々と先祖が築き上げた日本文明、日本と日本国をどうしていくか、覚悟を決めて選択するべき時が来ている。


光る君へ(NHKアーカイブス)CC-BY-SA 3.0

トップ画像出典:Samuel P. Huntington (2004 World Economic Forum 2004/1/25) CC-BY-SA 3.0

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